REVIEW

cameraストーカー

幸福と名誉の意味を探求する旅を描く

井口健二

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この映画の原作者であり、脚本も担当しているアルカージイ&ポリス・ストルガツキー兄弟は、現代ソビエトSF界でもっとも有名な作家チームであって、日本を始め、欧米などソビエト国外での人気も高い。特に日本の場合、兄のアルカージイが日本文学者として知られ、芥川龍之介や上田秋成、三遊亭円朝などの翻訳も手掛けていることもあってファンも多く、昔から翻訳紹介の進んでいる作家である。
兄弟が作家活動に入ったのは一九五七年である。ところが六十年代の半ば頃から、それまでの共産主義礼賛的なソビエトSFに飽きたらくなり、社会的なテーマを扱うようになる。そして鋭い文明批判を行うようになり、その結果として、いくつかの作品では発行禁止の処分も受けている。
この映画の原作は「路傍のピクニック」といって、一九七二年にレニングラードの文芸誌に、一部省略されて連載発表されているが、これも必ずしもベストの発表形態ではなかったようだ。
一方、監督のタルコフスキーは、問題作の「アンドレイ・ルブリョフ」を始め、社会体制には批判的な目を持った監督である。彼が、七二年映画化した「惑星ソラリス」では、人間の内面的な動きに多くの目を向けてはいるが、同時に科学技術に対する不信感のようなものも色濃く漂わしていた。
この「惑星ソラリス」の映画製作と、今回の「ストーカー」の原作の発表とが同じ時期であったことは、一つ注目に値する事柄だ。そして映画「惑星ソラリス」も、満足な上映はなかなか行われなかったといわれている。
さて、映画「ストーカー」は、このような原作者=脚本家と、監督の手に成る作品である。こういう作家達の作品であることを知ってこの映画に接しようとすると、僕らは当然政治的な内容を予想する。ところがその予想は見事に覆させる、というよりはぐらかされてしまった。
ここで少し映画のストーリーを追ってみよう。
主人公のストーカーは禁断の土地”ゾーン”の中を歩くことのできる特殊能力の持ち主である。”ゾーン”の中には人間では計り知れない危険が満ちあふれている。その危険を理由に、政府は”ゾーン”の周囲を封鎖し、人々の侵入を固く禁じていた。しかし、実は”ゾーン”の中心には、人間のどんな望みでもかなえてくれる金の円盤があるといわれている。ストーカーは今回の依頼人である作家と教授を伴って、封鎖を突破し、”ゾーン”の奥へと向かう。
映画は始め、ストーカーの生活をたんたんと描き、続いて封鎖線の突破までを少しアクション映画風につづる。そして”ゾーン”に入ってからは、奇妙な三人の徒歩兵と共に、三人の間での対論が主題となる。ここで三人は、名誉とは何か、幸福とは何かといった事を論じ合う。
ストーリーの中で書いたように、彼らは”ゾーン”の中心にある金の円盤を目指している。この全ての望みをかなえてくれる円盤が青い鳥的な寓意であることは誰にでも判るだろう。そして三人はチルチルとミチルがそうであったように、幸福と名誉の意味を探しながら旅をして行く。
ここで幸福と名誉と書いたが、この作家達に当然期待される、社会体制については余り触れられていない。寓意を読みとろうとすればできないことはないのかもしれないが、表面的には幸福や名誉について多く論じられている。
このことについて、原作の翻訳者でもある深見弾氏にうかがったのだが、結局のところストルガッキー兄弟も政治的なゴタゴタに巻き込まれるのがいやになり、社会からより人間的な部分に目を向けつつあるのだそうである。そうだとするなら、この映画と原作との違いは、正に兄弟の変化を明瞭に示しているといえる。
映画は大半が討論に費やされており、一見退屈そうな感じを受ける。しかし討論の内容が高踏な政治的問題ではなく、身近な人間性を扱っているために、理解し易く、また納得し易い。このため意外な程に退屈しない。
原作に登場するエア・カーや、”ゾーン”内での奇妙な物理現象などは描かれていない。監督がタルコフスキーであれば、やむを得ないであろう。しかし”ゾーン”の中は、荒涼とした自然が見事に映像化されている。また金の円盤のある館に入ってからの造形も奇妙な雰囲気を出している。
なおSFファンには思わずニヤリとさせられる趣好用意されている。

(キネマ旬報1981年1月下旬号より)


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ストーカー

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